[昆虫族/通常]
私は、久しぶりに「顧客が本当に必要だったもの」を見ました。リンク召喚の導入、デュエルリンクス、どれも私が求めているものではありませんでした。しかし、このマスターデュエルを見た瞬間、私の中で「これだ!」と叫ぶもう一人の僕の姿をひしひしと感じていました。普段一般人として生活している中で、しかし常に心の中に飼っているデュエリストとしての私。その血が騒ぎ始めるのを全身の細胞一個一個を通して痛感するのです。あの日、あの時、いつだったかは分からない脳の記憶のライブラリから、「ブラックホールで敵を葬り去った瞬間」「マスク・チェンジで対象を逃れつつ追撃した瞬間」「制圧カードで相手を妨害した瞬間」「魔導師の力で最強のパンチを繰り出した瞬間」がとめどなく溢れてきます。本当にあったかは分からない記憶の数々が、しかし私の中のデュエリストとしての魂を震え立たせながら脳裏をちらつきました。しかし、私のデュエリストとしての性でしょうか。まだ物足りなさを感じてしまうのがこのもう一人の僕の旺盛なところです。1万種に及ぶカードの中から40種類を選び抜く。実に10000C40通り=10^100に及ぶ繊細かつ大胆なデュエリストの個性の発露。それ故にデッキを創造するプロセスは想像を絶する労力と時間が投入される、いわば自分とのデュエルです。つまり、他者とのデュエルをする以前に、自分との格闘が存在するのです。現在マスターデュエルにおいては、自分が創造したデッキを試運転し、デュエリストとしての練度をあげる自己鍛錬、すなわち自分とのデュエルが十二分にできない状態にあります。つまり、私の中のもう一人の僕は、まだ十分に理解しきれていないデッキを用いて他のライバルと決闘しなければなりません。デュエル中に、「何を生贄に捧げ、何を生贄に捧げないのか」といったことを考えながら、不十分な準備でライバルとしての、そして友としてのデュエリストを待たせなければいけません。デュエリストとして、これ程悔しいことはありません。私は必要最低限の準備をし、決闘に望む覚悟を持った一人のデュエリストを蔑ろにしないためにも、デッキを試運転する機能を、まさにあの時の絶体絶命のワンドローの如く切望しています。デュエリストとしての飽くなき探究心、そして欲求。まさに、デュエルという言葉のもつ魔力の恐ろしいところです。
最後に、私のデュエリストとしての人生を生贄に捧げ、このレビューをアドバンス召喚いたします。
[ATK2500/DEF2100]